日本一周一人旅アーカイブ 1992-1993 vol.41

日本一周一人旅アーカイブ

今から28年前。1992年〜1993年に掛けて、約2ヶ月間の駆け足で巡った日本一周一人旅を、当時の旅日記と残っていた資料、そして遠くなった記憶を頼りにアーカイブ化していきます。
ただ、さすがに記憶が曖昧なのと、28年前にもなるので、もう今は存在しない場所や建物、宿泊施設。また廃止された路線等もあるかと思います。また地図を載せている場合も、正確な移動ルート等を現していません。
アップしていく写真も、今から28年前のプリントをスマホで撮影しています。現在とは様子も変化している事でしょう。
このアーカイブ化していく情報は、全て28年前の情報となります。
当時の事を、旅日記をメインにして簡単にまとめて行きますが、もしかすると記憶違いな事を書いてしまう可能性がありますので、ご理解頂ければと思います。

1993年9月26日(日) / 晴れ

朝、7時頃に一旦、目を覚ますも二度寝。
起きたら、9時だった。

冨田さんが朝御飯を用意してくれたので食べてから、ぶらり散歩へ。
いやー、雲ひとつ無い、良い天気。

熊本大学構内を案内してもらう。
教育学部の建物が赤レンガ造りで綺麗だ。

冨田くんの家に戻って来てから、荷物整理して出発。
歩いて10分ほどのバス停から、第一環状線経路で熊本駅へ。

熊本駅に着いて、次はいっきに鹿児島、西鹿児島駅へ。

熊本駅から特急『つばめ』に乗る。
何処となくフランスTGVを思い浮かべる、なかなかカッコイイ車両。車体の色は山形新幹線に似ている感じ。

特急『つばめ』は、2004年の九州新幹線開通に伴い、在来線の特急から新幹線の名称に引き継がれました。

中も凄く綺麗、デッキも広いしビュッフェ車両も連結しているみたい。

熊本駅を出発して日記やら書いていたら、車内販売が来たので弁当を買おうとしたけど、既に売り切れ、、、
えー、と思ったけど仕方ないので、サンドイッチとおにぎり、お茶を買う。

後で知ったけど、ビュッフェに行けば、まだ弁当はあったみたいだった。
教えてくれれば良かったのに。。。

八代を越えたぐらいから海が見えて来た、対岸に見えるのは天草諸島かな。
海の色がエメラルドグリーンで凄く綺麗。
アナウンスでも「鹿児島本線で一番、海が綺麗な海岸線」というような放送が流れた。

2004年の九州新幹線開通に伴い、八代駅〜川内駅間が肥薩おれんじ鉄道線に経営移管されました。

時折、観光アナウンスをしてくれる。

また車内販売が来たので、アイスクリームを買う。

熊本から鹿児島まで、特急とはいえ4時間ちかく掛かる長丁場。
西鹿児島駅からは指宿の方へ行くつもりだけど、どうもこの特急、ちょっと遅れているようだ。

西鹿児島駅で、乗り換え時間が3分しかないんだけど。

いよいよ西鹿児島駅に到着、というちょって手前でアナウンス。
「14時12分発の指宿行きには、連絡いたしません」

おい!!
こらっ!!

って、結局、9分遅れで西鹿児島駅に到着。
もちろん、14時12分の電車に乗れず、、、

西鹿児島駅は、2004年の九州新幹線開通に伴い、鹿児島中央駅と改称されました。

というか、次の14時20分発もギリギリ。
電車から降りてホームを走る、指宿方面は0番ホーム。

端から端じゃないか。。。

0番ホームを駆け上がり始めた時、発車のベルが、、、
私を追い越すように二人ほど走っていったので、後を追う。

かー

間一髪セーフ。

もうやめて、、、

西鹿児島駅を出発して、ほどなく桜島が見えて来た。
それから海沿いを走る。海も綺麗だ。

1時間ちょっとで、指宿駅に到着。

とりあえず観光案内所で宿を紹介してもらった。
駅から歩いて20分ほどの民宿。

ついでに池田湖に行くバスの時間も教えてもらう。
今からだと、17時30分のバスがあるけど、これに乗ると帰りのバスが無い。。。

明日の朝を聞くと、7時40分があるけど、ちょっと早すぎる。。。
うーん。。。

とりあえず今日は諦めて宿へ向かう。

民宿といっても温泉宿、すぐそばが海でやっぱり塩分が多いのかな、なんかフワッと浮く感じがする。

夕食時、民宿のお子さんかな、小学生ぐらいの女の子が、「晩御飯できましたー」と呼びに来てくれた。
私以外に、6,7人は泊まっているようだった。

ご飯を食べながら話をしていたら、5,6人の人達はグルーブで工事か何か、仕事で来ていて連泊しているのだとか。
もう1人は旅行みたい。

さあ、明日は飛行機で、いよいよ沖縄へ。
指宿から鹿児島空港までバスが出ているみたいだ。

移動距離 : 約254km
熊本大学前 〜 熊本大学 〜 熊本駅 〜 西鹿児島駅 〜 指宿駅 〜 指宿温泉

注意 : Googleマップ仕様の関係上、下車等せず通過した地点も記載したルートになっています。また、当時の正確な移動ルートを再現しているものでもありません。〝大凡〟のルートになります。


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