今から28年前。1992年〜1993年に掛けて、約2ヶ月間の駆け足で巡った日本一周一人旅を、当時の旅日記と残っていた資料、そして遠くなった記憶を頼りにアーカイブ化していきます。
ただ、さすがに記憶が曖昧なのと、28年前にもなるので、もう今は存在しない場所や建物、宿泊施設。また廃止された路線等もあるかと思います。また地図を載せている場合も、正確な移動ルート等を現していません。
アップしていく写真も、今から28年前のプリントをスマホで撮影しています。現在とは様子も変化している事でしょう。
このアーカイブ化していく情報は、全て28年前の情報となります。
当時の事を、旅日記をメインにして簡単にまとめて行きますが、もしかすると記憶違いな事を書いてしまう可能性がありますので、ご理解頂ければと思います。
1993年9月30日(木) / 晴れ のち 曇り
6時半頃に目が覚めた。
今日で、東京から来ている大学生が帰るそうで、荷造りをしていた。
僕は、もう少し寝る。
8時前に起きて、、、暑い。。。
朝御飯は、、、
わ、昨夜のヤシガニのお味噌汁だ。
凄く味が濃厚、身も入ってて、めちゃ美味しい。
大学生のお見送りをして戻ってくると、庭でなにやら数人のおっちゃんが作業をしていた。
なんでも、今日は十五夜のお祭りがあるとかで、その準備らしい。
宿主に石垣島へ渡る、次の船を聞いたら10時15分があるみたいなので、それで石垣島へ戻る事にした。
庭で作業をしていたおっちゃんから、「お祭り、見ていかないの」、「せっかくだから手伝ってよ」って言われた。
うーん(笑)
これから先の予定もあるし、残念ではあるけど、10時に宿を出発。
宿のおばさんに港まで送ってもらう。港に向かう途中、同じく港へ向かう人が歩いていたので、車に乗せてあげた。
港に着くと、既に船が来ていた。行きとは違う船みたい。
乗船したのは、私を含めて3人。
宿の方にお礼を言って、綺麗な海を眺めつつ石垣島へ。
さて、次は波照間島に行こう。
しんざと観光で、波照間島へ渡る切符を買う。
40分ほどの待ち時間があったので、売店で絵葉書やらカメラのフィルムを購入。
さあ、出航の時間、、、って、乗船は私だけみたい。。。
出航してしばらくすると、綺麗な海の色が濃いブルーになって、けっこう揺れる。
そうか、竹富島みたいに直ぐ近くの島じゃないし、外海だよね。
眠たくなって、うつらうつらしていたら、1時間半ほどで波照間島に到着。
港へ降りると、、、えー、やっぱり何もない。
船長さんが、「村まで行くの? ちょっと待ってて」と。
しばらくすると、1台の車がやって来た。
車には〝たましろ荘〟と書いてある。
この日本一周一人旅アーカイブを書き始めて、28年前に泊まった宿を検索していく中で、一番衝撃的だったのは、この日本最南端の波照間島で泊まった『たましろ荘』でした。こんな記憶は全く無く、28年前と唯一の共通点が〝料理の量が半端ない〟という事以外、ずいぶんと名宿、、、いや、迷宿になったようです(笑)
あら、宿の車かな?
その車に乗せてもらい、「2泊できますか」と。
宿に着いて、荷物を置いて。
宿にある自転車は、宿泊客なら自由に使っていいそうなので、ちょいと島内ウロウロ。
うーん、道がさっぱりわからん。
郵便局は見つけた。
夕刻、晩御飯は庭でバーベキューをするみたい。
宿泊客が集まって。
バーベキュー、どんぶり、焼きそば、刺身、スープ、おはぎ、、、次から次へ食材やら料理が出てくる。
みんなで、「こんなに食べれないよ」って(笑)
ワイワイと楽しい夕食。
夜、庭で宿泊客の3人で、旅やらキャンプやら、色々な話をした。
私以外の2人は、けっこう連泊しているみたいで、写真が目的で来ているみたい。
と、突然、庭先の電気が消えた。
宿主さん、「電気を付けていると、酔っ払いが入って来る」と。
夜が深けるまで、なんだかんだ話をしていた。
移動距離 : 約68km
高那旅館(竹富島) 〜 石垣島 〜 たましろ荘(波照間島)
注意 : Googleマップ仕様の関係上、下車等せず通過した地点も記載したルートになっています。また、当時の正確な移動ルートを再現しているものでもありません。〝大凡〟のルートになります。
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