Google Mapで結婚する前まで住んでいた、まあ、実家という言い方が正しいのかどうかわかりませんが、そんな地域をストリートビューで眺めながらふと、「そういえば高校まで自転車で行ってたよな」と。
どんなルートで行ってたかな、とGoogle Mapで調べてました。
途中、阪急電車・京都線の正雀駅、そしてJR西日本・京都線の千里丘駅付近を通るのですが、千里丘駅付近は高校卒業後の専門学校入学からの中退からの(笑)、日本一周一人旅するまでの旅費を準備する為、摂津郵便局で非常勤アルバイトとして2年ぐらい働いてて、千里丘駅周辺が配達担当だったので、今でもそこそこ地理的に覚えていたりするんですね。
ただ、まあ。
高校時代の学生生活がどうだったか、というのが、あまり記憶に残ってなくて(笑)
とりあえず吹田東高校といえば、〝あの階段〟は今も健在なようで、なかなか大変でしたね。
あと、近くに池というか貯水池のような、、、今もある八丁池という場所だったかどうか記憶が曖昧なのですが、冬の体操の時間では、よくその池の外周を走らされましたねえ。
更に体育館やグラウンドは当時の雰囲気のままだと思うのですが、校舎は立派になりましたね、4,5年ぐらい前なんですかね。
何処ぞの大学のキャンパスのような綺麗な校舎になっている模様。
さて。
吹田東高校に入学するわけですが、確か、、、私が通っていた中学校からは学区的に一番遠くにある高校だったようで、当時、その中学校から吹田東高校に入学したのは数名程度らしい、みたいな話を聞いていて、担任の先生から勧められたんですね。
で、まあ、何の考えも持ってなかったモジュラーおじさん、そのまま受験して合格して、吹田東高校に通う事になるわけです。
その時、同じ中学校からは、もう一人、私と合わせて2人が吹田東高校へ。
家も近所だったので、朝は一緒に通っていた記憶があります。
そんなこんなで始まる高校生活なわけですが、その後の人生に悪影響を及ぼす友達と出会うわけですね(笑)
一人は、一緒に青春18きっぷで乗り継いで、廃止になる青函連絡船に乗りに行ったり等々、郵便局アルバイト時代まで一緒で、よく貧乏旅行にも一緒に行っていたM氏。
彼と出会ってなければ、後々に一人で日本一周する事も無かっただろうなあ。
で、あともう一人。
彼の影響で吹奏楽部に入部する事になり、そこで彼の持っていたシンセを借りて、初めてシンセを触って、後々に私より早くユーロラック・モジュラーシンセを手にする事になる、Y氏。
さて。
吹田東高校に入学して、しばらくは帰宅部でした。
特に部活にも興味が無く、のらりくらりな生活だったんですが、何時頃だったか、そのY氏に誘われて、吹奏楽部の定期演奏会へ行ってみたんですよ。
そしたら、なんだか楽しそう、と思ってしまって。
音楽やりたい、っていう気持ちは無かったのですが、「楽しそう、面白そう」みたいな興味が先行してね。
それから直ぐに、そのY氏が吹奏楽部へ入部しちゃうんですよ。
それを聞いて、「えー、俺もー」みたいなノリで、入部しちゃうんです。
学校の授業以外で、音楽なんて全くの無縁だった人間が、いきなり高校の吹奏楽部に入るわけです。
そもそも、音楽に興味もなかったのにね。
当時の吹田東高校・吹奏楽部は部員も少なく、15,6人もいたかどうか、というぐらいだったと思います。
私の担当は、ホルンになりました。
全くの未経験者がホルンです。。。
腹式呼吸から楽譜やスコア譜の読み方やら、完全に基礎からですよ。
1年生の途中から入部して、2年生に上がるまでには、とりあえず全体の合奏に参加はしていたと思います。
とてもホルンらしい音を出せていたわけではありませんが、とりあえず楽曲の半分ぐらいは、なんとか合奏に付いていける、程度のレベルだったと思いますが。
そして、2年生になって、、、まあ、後輩が入って来るタイミングになるわけですね。
私のパート、ホルンにも後輩が入って来たんですね。
しかもそれが、中学生時代から吹奏楽やってて、ホルンなんですよ。
どう頑張ったって、後輩の方が上手いんです、当たり前なんですが。
これは、どうしよう、と。
出来る事を探さねば、と。
もう〝音を出す〟という行為については、後輩の方がダントツに上手いわけですから、、、と、ひたすらスコア譜を睨みながら練習曲を聞き込んで、「この部分は、こんな感じで演奏した方が良いんじゃないかな」とか「他のパートがこんな感じだから、ここは、、、」みたいな、そんな事をやっていた記憶があります。
そして、事件が起こるんです。
この事件(事件なのかな?)、今の吹田東高校・吹奏楽部に語り継がれているのだろうか?(さすがに、それは無いか)
私達2年生部員は、確か6人ぐらだったと思うのですが、副部長だった1人を除いて、残り5人がいっせいに辞めちゃうんです。
来年の3月に卒業の3年生が4,5人と、副部長の2年生が1人、後は新入部員の1年生が4,5人はいたのかな。
本来は新入部員を引っ張るはずの2年生が、すっぽりいなくなってしまった。
もちろん先輩の3年生、特に部長は怒っていた記憶があるし、少なくとも先輩方は私を含めて辞めた2年生を、良くは思わなかったと思いますし、突然2年生が1人だけになった後輩の1年生達は意味もわからず、少なからず迷惑を描ける事になってしまったと思うわけです。
で、辞めた理由なんですが。
まあ、ここからは私の見た範囲、感じた範囲の話で、何が真実だったかは、私にはわかりません。
あくまでも、私目線での話という前提なのですが。
当時、吹田東高校・吹奏楽部には外部から顧問の方が来られていたんですね。
お名前が、、、確か、、、香田さんか、幸田さんか、、、そんなお名前だったように記憶しています。
どういった方で、何時から吹田東高校・吹奏楽部の顧問をされてて、なぜなのか、といった事は、当時も全く知りませんでした。
先輩に聞けば知れ得る情報だったかもしれませんが、たぶん、そんな情報に興味が無かったんだと思いますし、必要以上に会話をした記憶も無いかな。。。
部活の練習が始まり、後半の頃に来られて、メインは合奏で指揮をとりながら各パートや個人にアドバイスしたり、という流れだったと思います。
そんなある日、突然、その顧問の方が来られなくなったんですね。
そして、それが数日から一週間、二週間と。
淡々と個人やら各パートの練習はすれど、その顧問の方が来られないと、メインである合奏の練習が始まらないのですね。
「どうして来られないんだろう」と、素朴に思うわけです。
なんとなく先輩の会話というか雰囲気を察して、「部員の態度に問題があって」というような印象を、当時は持っていました。もちろん、本当かどうか、わかりません。
ただ、私自身、ほとんど会話もした事が無く、先輩からも「あの態度、なんだ?」とか言われた記憶もなく、よく意味がわかりませんでした。
そんなこんなで先輩方は、なんとか顧問の方に復帰してもらうよう、色々と動いたようなのですが、それでも時間は過ぎていき合奏の練習がストップして一ヶ月が過ぎ、、、となってくると、、、
単純な話なのですが、モチベーションが無くなって来たんですよね。
「この状態、なんなんだろう」、と。
個人的にも、これは学校の部活なんだから、外部の顧問がいなくなっても、本来の学校内の先生が顧問としているので、仕切り直せば良いのに、と思い始めていたわけです。
2年生部員だけで集まって話し合いもした記憶があります。
2,3回ぐらいは集まって話し合ったかな。
少なくとも、その状況を理解出来るだけの情報を、私は持ち合わせていませんでした。
2年生としては、外部の顧問が来られないなら、それはそれで仕切り直して前へ進むべき、という感じの方向性というか、考え方になっていったように思います。
でも、そういう感じにはならない状況が続いて、、、結局のところ、少なくとも私は完全にモチベーションが無くなったんですね。
そして、5人ほどの2年生が一斉に辞める、という事になってしまったんです。
学校内での顧問だった先生のところに5人、、、いや、副部長で残る事を決めた1人も含めて、2年生が全員いたのかな、、、行って、「辞めます」と。その場面に、3年生の部長が乗り込んできたような記憶があります。
まあ、そりゃそうですよね。
先輩方にしてみたら、問題解決の為に動いている最中、勝手な事しやかって、というふうに見られても仕方ないでしょうから。
吹奏楽にも興味を失ってしまって、その後どうなったのか、ホルンの後輩だった彼から少し話を聞いたりした記憶がありますが、そのまま私は卒業を迎えた感じでした。
卒業以降、最初に出て来た、旅行好きの友達であるM氏、私にシンセと音楽をするキッカケを作ったY氏とは、何度も会う事になるのですが、吹奏楽部に関係した方と再び会う機会は、無かったなあ、と。
あ、あと。一度だけ同窓会で集まった事があったかな。吹奏楽部とは関係が無く、1年生時のクラスで集まった感じだったし。
まあ、「あの辞めた2年生が吹奏楽部を壊した」と言われても、ある意味、仕方がないかも知れませんが。
どうでしょうかね、みなさん、お元気にされてるのでしょうか。
現在の吹田東高校・吹奏楽部は、私達当時の倍以上の部員がいるようで、ちゃんと続いていて安心する限りです。
あの時が原因で〝廃部〟にでもなっていたら、さすがに、、、ですから。。。
余談。
卒業後、しばらくして。
どんな理由だったか忘れましたが、ホルンの後輩だった彼から電話があったんですよね。
少なくとも中学生の3年間ホルンをやって来て、吹田東高校・吹奏楽部へ入部して来て、ホルン歴が1年もない〝先輩〟である私のところに来たわけで、、、
「それでも、ちゃんと音、出てましたよ」って、電話で言われた。
あぁ、なんて良い後輩なんだ、と凄く思った記憶が残ってます(笑)
ま、そんな35年ぐらい前の遠い記憶の話です。
記憶が遠すぎるので、半分ぐらい思い込みで書いてますので、その点、ご留意頂けると幸いです。
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