イベントが嫌い (前篇)

Diary

いあ、別に〝イベントが嫌い〟ではないですよ? (笑)
興味のあるイベントもあれば、興味のないイベントもありますが。。。

以前、『音楽が嫌い』というタイトルでブログに記事を書いた事があって、音楽が嫌いだった私が、なぜか人前で音楽的な(どうかは不明ですが)ライブまでする事態になってしまったのか、みたいな話を書いたんですよね。

で。

その続きみたいな感じで、人と話すのも苦手だし人付き合いも苦手な私が、自分でイベント企画して開催云々する事態になってしまったのか、という事を、実は自分でもその理由が全くわかってないので、ツラツラと想う事を書き殴りながら、探ってみよう、という記事になります。

後半は、たぶんイベントを企画する側の〝愚痴〟も多分に入って来ると思われますので、私が企画したイベントに関わって頂いた方々には、不愉快に思われる文言もあるかと思いますが、特定の誰かを指している愚痴ではありませんので、その点、ご理解頂ければと思います。

ダラダラと文字だけの記事ですので、読まなくても大丈夫です(笑)
あくまでも自分ログ、として。
(あと、誤字脱字上等夜露死苦です)


で。
 
結論から言えば(笑)

、、、いきなり結論かよ、って話なんですが。

〝三つ子の魂百まで〟、なんだろうな、と思ってます。

なんのこっちゃ、と言う話なんですが、物心ついた頃から〝舞台〟や〝楽屋〟が遊び場だったんですよ。
両親が舞台に関わる仕事をしていて、母は舞台に立つ側、父は舞台を創る側でした。

母は結婚と共に専業主婦になったので、私が舞台に立つ母の姿というのは、写真でしか観たことはなかったのですが。

それから幼稚園から小学校低学年ぐらいの間でしょうか。
夏休みとかになると、母に連れられて父の勤務先である某劇場(当時は別の名前で、現HEP FIVEの場所にありました)に行っては、舞台や楽屋で遊ぶようになったんですね。

その頃は、単発の芝居やイベントというよりも、2,3週間とか1ヶ月とか?、というロングラン公演が多かったと記憶していて、通し稽古が始まらない間は、大道具や小道具のスタッフが舞台を製作していて、そんな中をウロチョロしていました。
そして、いざ通し稽古が始まると、俳優さんやら色々な人が楽屋に来られるわけですよね。

記憶に残っているのは、あき竹城さんや、花紀京さんに楽屋で遊んでもらった事かな、と。他にも著名な俳優さんや芸人さんもいらっしゃったとは思うのですが、、、

後から聞いた話なんですけど、母は私を子役にさせたかったらしく、要は芸能界へ〝コネ〟を作る目的もあって、私を劇場に連れて行ってたようなんですね。
ですが、その事を知った花紀京さんが凄く怒って、うちの母に説教したらしいんですよ(笑)

まあ、それで私の芸能界入りの道は閉ざされたわけです(爆)

そんな物心ついた頃の原風景があるのか、その後、中学・高校・社会人となっても、芸能人に憧れるというか、誰かのファンになる、という感情は生まれなかったんですよね、不思議と。
たぶん、芸能界っていう世界を身近に感じていた、と言うと大袈裟ですけど、芸能人をそんな雲の上の存在って感じてなかったんだと思います。

そういう職業なだけで、他のサラリーマンと変わらない、っていう感覚かな、と。


それから月日は流れ。

高校を出て浪人になって、結局、勉強つまらねー、って専門学校へ行って、で退学してアルバイトしながら日本一周一人旅して、とフラフラした適当な人生を歩んでいたわけですが、ちょうど日本一周も終わって、今勤めているアルバイトも目的は日本一周の為の資金を貯める為だったので、次はどうしようかな、という中で、とある人の紹介で(この辺り、誰がどう動かれたのか、よく知らないんですが、、、)某会社でアルバイトを始めるんですよね。

その某会社は、舞台関連の音響や照明、道具関連の仕事を引き受けている会社で、その業界に詳しい方なら、会社名を出せば誰でも知ってると思う、そこそこ大手の会社でした。

そこで、私は音響スタッフとしてアルバイトする事になるんですね。

ちょっとした発表会から企業の講演会、TV番組の収録やら屋内や野外コンサートやイベント等、マイク1本の仕込みから、ゼロからの音響仕込みと、音に関する仕事全般をやりました。

いやぁ、、、全くの未経験なんですが。マイクの名前も知らず、8の字巻きさえ出来ない人間が、初日から舞台に派遣されるんですよ。
地獄でしたねえ(爆)

もう全て現場で叩き込む感じでした。本番中とかはトラブルでも無い限り、少し時間が空くので、舞台袖で進行を見ながら、ずっと8の字巻きの練習したり、マイクの形をメモに描いて名前を覚えたり、なんか無我夢中でしたね。

そんな中、TV番組の仕事(読売テレビと関西テレビが多かったなあ)やらイベントで、名の知れた芸能人や歌手の方々と一緒に仕事をする機会も沢山とありました。

ただ、まあ、完全に体育系の仕事でしたし、確か音響系の専門学校の卒業生が正社員として入社とかしていたので、「あー、このままアルバイト以上は無いのかなー」と思ったのと、その翌年に阪神淡路大震災が発生して、仕事も激減する中で、次の自分の事も考えて、今の一つ前の印刷会社へ、正社員として入社する事になるんです。

阪神淡路大震災発生後、TV局の音声スタッフとして報道陣と現地入りして、三ノ宮の港に停泊してあった貨物船? で寝泊まりしながらニュース中継の仕事をしたのですが、貴重な体験だったな。


で、また月日は流れて『音楽が嫌い』で書いたような偶然やら出会いがあって、ライブをするようになったわけですね。

イベントに対して〝出演者〟という立場以外で、違う意識が強くなったのは、『モジュラーフェスティバル vol.3』なんじゃないかと思ってます。
私自身が主催者みたいな意識は全く無かったのですが、「こんなイベントにしたい」とか「これは面白いイベントになるはずだ」みたいな、一出演者の意識を超えて、何か別の期待値みたいな事を強く感じていたんですよね。

で。
 
イベントとしては成功と言いますか、何も問題は無かったはずなのですが、私の勝手な妄想に近い期待値だけ先走っていたので、「なんで? もっといけたのに」みたいな感覚になってしまい、SNSに愚痴のような事を書いてしまったんですね。

そこで、このイベントに第一回目から出演されていて、他のイベントもご一緒する機会が多かった、とある方からメッセージが届いて、怒られたんですよね。

「あなたが、そんな事を言うもんじゃない。出演者に失礼です。そう思うなら、そうなるようなイベントにしなさい」、そんな内容だったと記憶してます。

もうね、ガツーンとやられた感じで。
申し訳ない気持ちもあるんですけど、とにかく、ガツーンとノックアウトされた感じでした。

それ以降、この時の想いは〝肝に銘じて〟イベントを企画するようになりました。
 
仕事でもなんでもない、誰かに頼まれたわけでもない、他人から見ればプライベートの時間を使った〝遊び〟でしょ、って言われれば、そうなのですが、そのプライベートな時間とお金も使える限り使って、追い込んでイベントやろう、と。
そう、決めたんです。
 
後悔しないように。
 
むしろ、仕事より真面目に真剣に取り組もう、と。

ちなみに、そのメッセージと言いますか、助言をくれた方とは、その後も何度かイベントでご一緒しましたし、仲良くさせて頂いてます。
身近に、しっかり駄目出しをしてくれる方がいた事には、感謝しかないです、ホント。

この切っ掛けが無かったら、その後のイベントの自主企画なんて、やってなかったかもしれない。


自分自身による自主企画イベントに対しては、幾つかのルールと言いますか、強く意識する事を決めたんですね。

1. コンセプトを明確にして電子音楽の楽しさを伝える
2.内輪意識を完全に排除し、知ってる出演者にも仕事という意識で接する
3.告知を徹底する
4.集客を最大のイベント評価とする
5.チャージが発生するイベントでは収益に関係なく、一定以上の出演料を必ず現金で払う
6.私の自己満足を削ぎ落とす

こんな感じでしょうか。
明確に文章化した事とかも無いので、はっきりとした形では示す事が出来ないのですが、上記の6項目ぐらいは強く意識していました。

1.コンセプトを明確にして電子音楽の楽しさを伝える
2.内輪意識を完全に排除し、知ってる出演者にも仕事という意識で接する

1と2は関係性があるのですが、よく知ってる者同士でイベント企画して「あぁ、楽しかった」っていう、くだらないイベントだけはやらない、という宣言と言いますか。重要なのは、私も出演者も知らない〝お客さん〟が現場まで足を運んでくれる事であるはずなので、そこに対してアプローチ出来るイベントでなければ駄目だ、と思ってたんです。
なので、なんとなく程度のコンセプトでは駄目だし、声を掛けやすい知ってる人だけ集めて、みたいなイベントも駄目なんだ、と。
しっかりしたコンセプトと、それであるならば、どんな出演者が相応しいのか、そこはしっかり考えよう、と。

3.告知を徹底する
4.集客を最大のイベント評価とする

3と4も関係性があるのですが、まずイベントを企画した以上、告知は当たり前ですね。フライヤーも制作した上で、自分の足で色々な店舗を回って置いて頂く作業も欠かせません。また各種SNSでの告知も、SNS別にテキストや画像を幾つかのパターン用意して、どのように告知して展開していくか、考えていました。
また、ネット広告も利用して配信する期間やタイミングも考えて実行していました。
その結果、どれぐらい集客出来るのか、というのがイベントの評価だと考えていました。
集客だけがイベントの評価ではない、という考え方もありますが、そんな事では、それこそただの内輪イベントでしかありません。言い出しっぺ、主催者であるならば集客の責任があるのは当然です。

5.チャージが発生するイベントでは収益に関係なく、一定以上の出演料を必ず現金で払う
私の経験上、出演料を払えないイベントは無いと思います。出演料の出ないイベントは、単に主催者が払えるのに「払いたくないだけ」でしかありません。
売上がなければ、主催者が自腹すれば簡単に問題解決するだけの話で、いざという時に自腹出来ないなら、そもそもイベントを企画する資格は無いでしょう。
お金はツールです。私自身、金額に関係なく出演料が出るイベントは大変と助かりましたし、自分のライブで何をするべきか、どうしようかと、より真剣に取り組む意識が向上したように思います。また、出演料を出すと決めた主催者の気持ちの強さも伝わって来ました。
自分もイベントを企画したのであれば、そうでありたいと強く思っているからです。

6.私の自己満足を削ぎ落とす
上記1から5までの全て、この〝私の自己満足を削ぎ落とす〟を実現する為の決まり事、と言えます。
自主企画のイベントである以上、私自身が「こんなイベントやりたい」という初期衝動が原動力となります。ですが、その初期衝動が実現出来たとしても、それは自己満足でしかありません。
会場や出演者、フライヤーのデザイナー、お客さん等々、色々な人達を巻き込んで、その目的が「自分の自己満足を満たす為」では、関わってくれた方々に対して、失礼極まりない話でしかありません。
沢山のお客さんを集客して楽しんでもらい、そんな沢山のお客さんの前で出演者がパフォーマンス出来る空間をつくり、会場側も売上をしっかり確保出来る、それこそが最大の目標なので、そこには初期衝動は必要ありません。


と。

こんな事を堂々巡りのように考えて、イベントを企画していました。
そして、あと、もう一つ、目的があって。

私が色々な偶然から人前でライブをする事になって、そこで出会った方々との繋がりで、またライブする機会があって、そしてまた新たな方々との出会いがあってと、人の輪が広がっていった事によって、色々な経験をさせてもらったわけで、そんな〝場〟を自分も企画したい、そういう空間を作りたい、というのがありました。
自分の企画したイベントに出演された方が、これを切っ掛けにまた新しく次へ繋がる何かを得れる現場になれば良いな、と。

色々とイベントに呼んで頂いて、色々な会場、色々な出演者、そしてお客さんと出会う中で、フツフツと「自分だったら」という思いが強くなって、具体的にイベントという事を、今まで以上に強く意識していく事になりました。

イベントが嫌い (後篇) に続く

P.S.
扉画像は画像生成AI、Midjourneyで作成したもので、

The anguished face of a 53-year-old Japanese man in a white lab coat struggling with event planning in a dark room with the lights off
日本語訳:
電気の消えた暗い部屋で、イベント企画に悩んでいる白衣を着た53歳の日本人男性の苦悩に満ちた顔

こんなプロンプトで適当にガチャした画像なので、特に意味はありません(笑)

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