所詮、原作者は〝原作者〟なんだから黙っとけ、という上から目線な風潮、その後

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そういえば、以下の件に関して、テレビ局側、出版社側の双方からの検証結果と、今後の対策について発表があり、それぞれ2,3時間掛けて読破はしていたのですが、その感想を書いてなかったので、なんとなく書いておきます。

ドラマ「セクシー田中さん」社内特別調査チームの調査結果について (日本テレビ)
日本テレビドラマ制作における指針 (日本テレビ)
特別調査委員会による調査報告書公表および映像化指針策定のお知らせ (小学館)

原作と映像の乖離は、今になって始まった問題では無いですし、今後も発生する事案だと思うのです。
その上で、原作者が望まない〝改変〟はするべきではないですが、だからと言って脚本家という存在がいる以上、その改変に挑戦するべきであるとも思います。

この事案で個人的に問題だと思ったのが、映像化に伴う原作者が望まない改変というよりも、なぜ原作者が自殺という、命を絶つという選択をしなければいけなかったのか(報告書を読む限り、最終的に映像化されたドラマについて、原作者は納得していた事が伺えるにも関わらず、です)、という事なんです。

そして、その原作者を抱える出版社は、なぜ命を守れなかったのか、というのが一番の疑問なんです。

その発端は、脚本家のSNS発信であったわけですが、その反論として原作者もブログで経緯を表明したわけですが、その内容について、出版社とすり合わせをしたと記載されていました。
それにも関わらず、自殺後について出版社は、そのブログでの表明内容と責任について言及するような発言は見受けられませんでした。

この事から、この事案の最終決着が〝自殺〟という最悪な結果に至った最大の原因は、出版社側にある、というのが私の個人的な想いとなっています。

ドラマという権利は守るが、作家を守る気は無いのか、と。

で。

今回、双方の〝言い分〟が発表されたので、読んでみました。


結論から言えば、最初の想いとは変わりませんでした。

世間的には、映像化したテレビ局が〝悪〟となっていますが、これはビジネスの話なので、そんな単純な話ではないはずです。
出版社側にしても、オイシイ話なわけです。

さて。

まず前提なのですが、テレビ局側の報告書について、出版社側の了承は得ていません。テレビ局側で調べた、勝手な言い分です。
逆に、出版社側の報告書についても、テレビ局側の了承は得ていません。これも出版社側で調べた、勝手な言い分です。
それぞれが独自に調査をして、独自に発表をしているので、矛盾が生じてます。まず、ここを理解しておかないと駄目でしょう。

また、テレビ局側の調査時に加わったメンバーの弁護士については、利害関係のない弁護士事務所に依頼をしているようですが、出版社側は顧問弁護士の事務所からメンバーに入っています。この点も、私には引っ掛かる部分でした。

どちらにしても、本来であればテレビ局側にも出版社側にも全く利害関係のないメンバー構成による調査と発表が必要なはずですが、双方でやるつもりは無いようです。


報告書の内容ですが、矛盾点は後に回すとして、まずテレビ局側を読んでみて思ったのが、ドラマ制作側の責任者と脚本家との関係性でした。

テレビ局側の立場で考えると、無理難題から脚本家が降板するような事態は避けたいでしょうし、ストーリーもですが俳優のキャラを使いたいとか、色々な思惑もあるはずです。(今回の件では、最後は降板してしまうわけですが)

そんな中で、脚本家への配慮から、最終的に原作者の意図を伝えるという仕事が疎かになっていった事が伺えます。
(これは、他のテレビ局や、これまで映像化された作品で度々発生していた事ではあると思いますが)

実際、脚本家がSNSで心情を吐露した事について、原作者がブログで経緯(反論)を表明した際、脚本家はそのような事になっていたとは知らなかった、と発言しています。(報告書でも同様の内容が記載されている)

また、最後のテロップ問題でも、裁判になる可能性も含めて難しい立場にテレビ局側の責任者が追い込まれますが、既に個人の判断でどうにか出来る事案では無い気がしますし、現場だけで回して任せていた責任も大きいと思います。

このテレビ局側の報告書で、今回の事案と直接関係は無いものの、他のスタッフにもアンケートを実施した結果も公表していますが、その中には原作(者)を軽視するような意味にもとれる回答があり、また批判を浴びてました。

個人的には、映像化という原作とは違う媒体にするのであれば、原作(または原作者)に対する挑戦はあって良いと思ってます。
脚本家やテレビ局側による、新しい解釈は積極的にやるべきだと思いますし、出版社側や原作者は受けて立つべきだと思ってます。

でなければ、新しいコンテンツなんて生まれないでしょう。

原作者が望まない改変が発生した場合、出版社側は徹底的にテレビ局側を問い詰めれば良いのです。
今回のドラマも、それをやった結果、原作者はドラマの内容が納得いくものになったのですから。

そういう意味では、このテレビ局側の報告書で一番感じるのは、脚本家の独立性をどのように考えるか、テレビ局側が再考する必要があるなぁ、と。


次に出版社側の報告書。

内容のわりには、同じ事を何度も書いている感じがしました。
その話の展開として、テレビ局側に意向が伝わっていない、という流れで締めくくる感じで、報告書としては内容が薄く思ったのが、率直な印象。

確かにドラマ化するにあたっての経緯だけをみると(原作者が意図する脚本の観点からみると)、テレビ局側の対応に誠意が無く、それが最終的に原作者が脚本家への失望に変わり、誤解を恐れずに言えば、出版社側は原作者を上手く導く事が出来なくなっていった経緯、と私は捉えています。

問題はあるにせよ、まだテレビ局側と脚本家の関係性の方が健全だったように思えました。

そんな出版社側と原作者の関係性は、最後に最悪な結果になった、と思ってます。

この出版社側の報告書では、ドラマ化にあたってのテレビ局側のやり取りに関する文章量に比べて、原作者が出版社側(正確には、今回の出版社側の担当者)と擦り合わせをした上で発表したブログの内容と、その後の脚本家への誹謗中傷、そして原作者が命を絶つ、という部分については、あまりにも説明不足だと感じました。

ドラマ化よりも、人の命の方が大切なのでは?

それともう一つ。

今回の事案で思うのが、出版社と作家の関係性です。
不満があっても、作家は自分の作品を出してくれる出版社の批判は、そうそうしないでしょう。

実際、出版社と作家の関係性はどうなんでしょうか。
そこについて、言及している作家さんは、どれぐらいいるでしょうか。

そういう事についても、今回の事案の根底の問題の一つだと思ってます。

報告書を比較する限りにおいては、出版社側の方が不誠実、という印象は持ちました。
(個人的に出版社側に大きな責任と問題がある、という前提なので、そう思ってます)


両者の報告書からの矛盾が、原作者や脚本家云々ではなく、ビジネスとしての大きな問題点になるんだろうと思います。

ドラマ化についての契約時期や原作者の意向と確認や認識。

報告書の体裁も難しくなっていたりしますが、結局のところ、言った言わない、聞いた聞いてない、という、ありがちな話と言い換える事が出来ます。

結局、これまでの流れに双方が任せた事により、明確な契約や確認の文言もなく進行してしまったのが、問題になったわけですよね。

これについても、報告書で契約内容をはっきりさせる、という方向で作業を進めるとしているようです。

また、原作者と脚本家、出版社側とテレビ局側でも、最初の段階で十分な同意の基に制作がスタート出来るよう、改めるとしています。

結局は、最後は〝人〟なわけですからね。


改めて個人的に想うところは、あえて被害者・加害者という分類をするのであれば、加害者はテレビ局と出版社の両方であって、被害者は原作者と脚本家ではないのか、と感じてます。

〝個人〟が背負うべき問題なのか、と。

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