クリント・イーストウッド監督の硫黄島ニ部作の後編、「硫黄島からの手紙」もヒットしているそうですね。
私も前編を観ましたし、今週末には「硫黄島からの手紙」を見に行く予定です。
で、この影響からなのでしょうか、「硫黄島へ観光に行くにはどうすれば、、、」なんていう問い合わせが東京都や小笠原村観光協会に相次いで?いるらしいです。
硫黄島を封印してしまうというのは事実を教える機会を失ったりする事で、良くない事だと思うんですよね。でも、この島は重い歴史を背負ってるわけですから、そういう一般論が通用しない側面もあるのかもしれない。
遺族の方々の感情もあるわけですけども、、、決められた期間とか、例えば年に2,3ヵ月の間、自衛隊の監視下の下で島内に1,2時間の滞在という具合で、数十名程度を受け入れるような機会があっても良いように思う。上陸できる場所も一ケ所だけで良いと思う。
しかしまぁ、映画を観て「観光したい」とか言う人達って。。。
硫黄島って、そんな島があるのを初めて知ったとか、硫黄島でそんな激戦があったのも知らなかったとか、、、挙げ句にこの映画を観て「感動した」とか言ってしまってる人達なのかなぁ。
この映画、別に“お涙ちょーだい”とか“盛り上がって感動へ”なんていう作り方なんて、これっぽっちもしてない、、、いや、まぁ、「感動」はするのだけど、意味が違うという感じのはずじゃないかと。。。映画とかイーストウッド監督に感動するんじゃなくて、当時、そういう人達がいたんだなという、敬意というか、自分はこういう事について何も知らなかったんだなぁ、とか。そういう方向からくる感動というか。
もちろん、この作品が100%の真実を描いているわけではないでしょうし、あくまでも映画ですから。
私でさえ、硫黄島の存在はもちろん知ってましたし、激戦で多くの人達が亡くなられたって事ぐらい、それぐらは知ってました。
だから、こうも単純に「観光」って発想になる事がね、、、駄目じゃないって?
あと、そういえば、、、新聞とかで、この作品を引き合いにでして、当時の硫黄島とか世相とか政治的な背景とか、色々と語るような記事がちらほらとありましたね。
これもねぇ、、、
日本人自身で調べて、色々と語るなら良いんだけど、外国人の作った作品を引き合いに出して、新聞があたかも自分達からも資料を引っぱり出して来たような口調で議論するような記事を書くのは、どうかな、と。これ読んだ時には、内容以前の問題で恥ずかしい話だなぁ、と感じました。
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