ここ最近、時間の空いている時はSecond Lifeで遊んでいる事が多いです。
色々とSecond Lifeについて語るIT系ニュース・サイトも多いですが、私の中では普通のチャット・ツールです。
その場で知り合って、気の合う人達と楽しくチャットが出来れば、まぁ、いいかなーという感じなんですね。
色々な人と出会うわけですし、基本的に米国のサービスですから外人さんとチャットで会話(もちろん英語)する機会も多いんですね。日本が好きで、わざわざ日本時間に合わせて日本人が集まる場所に現れたりする人もいたりして。
良く行く場所では、ノルウェー在住の方が来られるんですよね。私がログインしていると、ダイレクトに「hi unyo」って、いつもメッセージが届く、、、ホント、日本に興味があるんだなぁ、、、って。
そうかと思えば、何か色々とプライベートな事まで、話しをしてくる人もいる。
悩み事とか、なんだか色々と。
実際に会った事もない私に、そんな話をしちゃっていいの?、、、って。前の日記にも書いたけど、私は逆に自分の気持ちとか、そういうのを人に言えない性格というか、、、なので、ちょっと驚いてしまう。
何か答えてあげられるだけの引出しなんて持ってないし、何も言ってあげられないのだけど。。。
別の人に言わせれば、、、
「そういう話を聞いちゃうとアレコレと言いたくなるけど、あなたは聞く事に徹すれるから、いいんじゃない?」って。
、、、いや、何かね、言ってあげたい気持ちはいっぱいあるのだけど。
結局、人の苦しみは本人にしかわからない。
外の人間が「頑張れ」とか「無理するな」とか、そんな事は簡単に言えるのだけど、私にはとても無責任に思えてならないからです。
そんな中、よく御会いして話をする方なのですが、、、
御家族の方が、癌で余命を考えなければいけない状況になってしまったと聞きました。
それも短い時間しか残されていないと。
。。。。。
うーん、、、母の時と同じだ。。。
人は、いつか死んでしまう。
至極、当たり前の話なんですけど。。。
私は、母と母の兄、二人を見届ける事が出来ました。
それは病気で避ける事の出来ない死でした。
特に母の場合は、最後は人工呼吸器を外す外さないという重い決断が、私にのしかかって来ました。
でも、避けれない死は、後に残された者も時間が経つにつれて思い出となり、まさしく時間が解決してくれる事なんだと実感できています。母が亡くなって、もう6年ですから。
その時、その時、どういう行動がとれるか、、、悩みながら「これで良かったのか?」って思いながらの日々だと思うのですが、明確な答えなんて無い。どういう判断だったとしても、その時の判断は正解なんだと思います。
「後悔しないように、、、」なんていう台詞もありますが、それこそ外の人間の無責任な言葉だと思う。
その時、その時で一生懸命なんですよね。
だから、それでいいんです。それが正解なんだから。
避けれない死は、時間が解決してくれると思います。
でも、私には、もう一つ、今でも納得できない死があります。
それは自責の事故で亡くなった、母方の従兄の事です。
この事、、、日記に書いた事があったのかな、、、あ、、、書いてましたね。
人が亡くなって、こんなに腹の立った気持ちになったのは初めてでした。
今週末、母のお墓参りで長野に行きます。
そして、母の実家に寄った時には、この従兄にも線香もあげてきます。
何か言えるほどの人間ではないのですが、、、
無理だけはしないで下さい。
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