今日、このような判決が出ましたね。
それが明らかな医療ミスであれ事故であれ、または予測外の事態であれ、また判決が有罪にしろ無罪にしろ、亡くなった人の命は戻って来ません。。。
これから病院で医者にお世話になるであろう多くの人達、それを受け立つ医療側、双方にとって色々な事を目前に突き付けられた判決ですね。
手塚治虫氏の漫画「ブラックジャック」に代表されるように、神の手を持つ・・・なんていう肩書きで紹介されたりする医者もいますが、確かに豊富な経験と高い技術、揺るぎない判断力を兼ね備えた医者は沢山いると思います。しかし、医者は神様じゃないんですね、結局、人が人を治すんです。
現実に存在すれば、正しく世界No.1の天才外科医であろうブラックジャック氏でさえ、医療の限界とその壁を打ち砕く事が出来ていません。「医者は何のために存在してるんだ?」と、吐き捨てるように怒鳴る事さえあるぐらいです。
私の母の事を思い起こせば、残念ながら何かしらの治療行為をして完治する状況ではありませんでした。
既に医療の限界を越えていたんですね。肺がんのステージ3Bでしたから、末期の一歩手前。
セカンドオピニオンで肺がんについては日本トップの、成人病センターにも行きましたが、入院は母が住む実家近くの病院に落ち着きました。
結果的に、これが凄く良かったと思ってるんです。
結局のところ、治るも治らないも苦しいも辛いも、本人にしか分からない。
そんな中で、主治医の先生がたまたま、母と同じ田舎出身だったという事もあって、主治医の先生には絶大な信頼を母は寄せていました。「絶対に治してくれる」という信頼ではなく、普通の人間関係としての信頼です。
主治医から見れば、不特定多数の患者の一人でしかない母ですが、私の目からみても、普通に人としての関係を持った接し方をしてくれていたように思う。
それが、唯一の救いでした。
今回の出来事も、不幸な事が起こってしまった段階から、裁判に踏み切らざるおえない状況になるまでの間、主治医・担当医と病院側、そして遺族側と、どのような話し合いがあったのだろう。
たぶん、遺族側にしてみれば、全く誠意を感じられなかったのだろう。
もちろん、医療側の言い分だって、あるでしょう。
治す治さない、治せる治せない、と言う前に、人間関係としての少しでもいいから、そこに信頼関係があれば、こういう不幸な流れにはならなかったのかもしれない。
もちろん、医療としての不幸な結果についての責任は、何らかの形で追求する必要はあると思う。
判決が無罪だからといって、そのまま流されていいわけじゃない。
産婦人科だけの問題ではないでしょう?
閉鎖的な日本の医療現場の問題もあるでしょう?
絶対数として医者が足りない、看護士が足りないという問題もあるでしょう?
そして患者側の意識にだって、問題はあるのでしょう。
以前、ブログにも書いたと思いますが、胃のポリープ切除で某病院に入院した時、「院長が来られるので、身の回りを整理しておいて下さい」と看護士に言われた時には、それは入院している患者に言う台詞かと思いましたよ。まあ、、、もし、かなり散らかっているようだったら分かりますが、、、
なんにしても、、、まだまだ患者と医者の間には、大きな壁があると言う事なのですね。。。
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