おお、知らなかった。
こちらで、RAINBOW2000 ~ RAINBOW2012でプロデューサーを務めてきた、日本野外フェスシーンに大きな影響を与えて来ている、その人。越智さんのインタビューが掲載されています。
今でこそ、フジロックやサマソニ、ライジングサンに代表される、オールジャンルの音楽が集まる日本国内の大型滞在型野外フェスティバルがあるし。それ以外にも、メタモルフォーゼやラビリンス、ゴッドブレスとか、テクノ系やトランス系の野外フェス&レイヴも沢山ある。
でも、こういった「大型」で「本格的」な野外フェスって、日本ではまだ歴史は浅いですよね。90年代後半になってから、日本各地で開催されるようになったと思う。
今や日本を代表するフジロックも、そのスタートは1997年。
その一年前。
1996年からスタートしたのが、「RAINBOW2000」でした。
特に第一回目の1996年は、今でも語りぐさになってるというか(笑)
「テクノ」という限られたジャンルのイベントでした。
1996年、まだ情報をインターネットで得る、というのが日常化されていない時代だった。そんな中、テクノはまだまだアンダーグラウンドな音楽でした。
富士山の麓に、オールナイトで、テクノで。
人が集まるのか?
フタを開けてみたら、15,000人が集まり、テクノで踊って富士山で一夜を共にするという、前代未聞のイベントになった。
今じゃ考えられないけど、NHKのソリトンという番組で特集が放送されてしまったぐらい(笑)
今まで日本全国で、好きなメンバーだけが集まって小規模で開催されていたような草の根的野外レイヴが、本格的な大型野外フェスやレイヴに昇華していく、そんなスタートラインの一つがRAINBOW2000でした。
1996年から、場所を白山に変えて1999年まで続いた。
その間にも、「春風」や「Earth Dance」等、RAINBOW2000から派生したフェスが沢山と生まれた。
私自身、越智さんやAkioさん、M.M.
Delightの森田さん(残念ながら森田さんは、病でこの世を去ってしまいましたが。。。)のように、RAINBOW2000を通じて日本の野外フェスを育てた人達の事を知ったのは、2000年以降の事でした。
2005年。
RAINBOWが阿蘇で開催される、という情報が流れてきて。
これは、絶対に行こう、と。
そして、ここで初めて越智さんとお会い出来たんですよ。
ちょうど次の年で、RAINBOW2000から数えて10年になる、そんな時でした。
翌年、2006年。
白山で虹の祭りが開催された。
私も遊びに行って。
ここでも、越智さんと再会出来たし、Akioさんともお話が出来た。
そして、2012年。
再び、阿蘇でRAINBOWが開催された。
越智さんも、すこぶる元気だった(笑)
越智さん、ホント、若い。
完全に年齢不詳ですよね。(笑)
16年前。
1996年のRAINBOW2000、偶然か必然か、その現場に自分がいたという事実は、今でもとても大きな衝撃として、心の中に残ってます。
それから16年が経って、同じRAINBOWの現場に自分がいる。
なんとも不思議。
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