所謂〝夜行〟列車と言うと、真っ先に思い浮かぶのは〝寝台〟列車じゃないかと思うんですね。
ちゃんと寝る為のベッドが備え付けられていて、個室があったり、二段ベッドになってたりする。
40代より上の人には〝ブルートレイン〟っていう愛称も記憶にあるんじゃないでしょうか。
全盛期には東京や大阪を拠点にして、東北や九州方面等に向かう寝台列車も色々ありました。飛行機で行くのとは違い、一晩掛けて次の日の朝に目的地に到着するスタイルは、時間とお金に余裕を持って旅をする、ちょっと優雅なスタイルでもあったと思います。
その後、新幹線の開通や飛行機もより便利になり、高速バスの発達もあって、その優雅だと思われていたスタイルが、逆に時間もお金も掛かる事が、不便だと思われる時代になってしまいました。
寝台列車は徐々に廃止され、定期運行も無くなり、今では観光目的とした臨時列車として、幾つかを残す程度となってしまいました。
さてさて。
夜行列車は、何も寝台列車だけではありません。
読んで字の如し、〝夜行〟の列車。
即ち、乗客を乗せて夜通し走る列車は、全て〝夜行〟列車です。
言い換えれば、一般的な終電以降も、乗客を乗せて走り続ける列車ともいえます。
そんな〝夜行〟列車の代名詞、岐阜県の大垣駅から東京駅を走り続けた夜行列車、快速『ムーンライトながら』が、2021年3月をもって廃止となってしまいました。
〝ムーンライト〟という愛称で走る夜行列車は、これまでに幾つかありました。その最後の生き残りが、この『ムーンライトながら』でした。
『ムーンライトながら』の廃止により、〝ムーンライト〟の愛称を持つ夜行列車も姿を消し、通常の乗車券のみ(ムーンライトは指定券が必要)で乗車出来る夜行列車も姿を消してしまいました。
特に『ムーンライトながら』の歴史は古く、その前身にあたる通称『大垣夜行』時代から数えると、50年以上も大垣〜東京間を走り続けた夜行列車になります。
その前身となった『大垣夜行』列車には、過去に3,4回ほどお世話になりました。
『大垣夜行』とは正式な愛称ではなく、業務上143MM等の名称はありましたが、一般的な列車名はありませんでした。
普段は昼間に走っている列車が、単に夜間も走っているだけ、という列車でした。
この便利な名も無き夜行列車を、何時からか『大垣夜行』と呼ばれるようになっていました。
特に春休みや夏休みで、青春18きっぷが使用出来る期間になると、満員御礼な時もあるぐらいでした。
その為、入線時間の2時間ぐらい前にはホームに並んでいた記憶があります。
初めて利用したのは高校生の時で、同級生ら3人で廃止される青函連絡船を乗りに行こうって、行きは青春18きっぷだけで大阪から『大垣夜行』で東京、そこからひたすら乗り継いで青森。
青森から青函連絡船で函館(初の北海道でした)、函館から長万部まで行ったけなあ。
帰りは、函館から寝台特急で開通初日の青函トンネルを通って大阪へ。
宿泊は全て列車か船の中っていう(爆)
その後、よく利用していた1990年代始め頃の『大垣夜行』は、確か1両だけグリーン車がありましたが、他の車両は自由席でした。その為、本当に乗車券だけ、、、青春18きっぷ1枚(日付をまたぐので正確には2枚)で東京まで行ける、当時の金額で18きっぷ1枚あたり2,000円だったので、本当に格安で東京まで行く事が出来ました。
あの硬い4人ボックスの椅子に揺られて、6,7時間ぐらい掛かりましたっけね。
本当は、もっと早くに到着も可能なんですが、到着後の始発と合わせる為に、途中の駅で長めの停車時間を取って、時間調整するんですよね。
静岡駅だったか沼津駅だったか忘れましたが、その時間調整の停車時間を狙って、ホームで駅弁とか売りに来ていましたよね、ど深夜に(笑)
買ったよなー(笑)
ついでにホームに出て、ゆっくりしたり。
朝5時過ぎぐらいに到着するので、少し待てば始発も動き出すので、次の移動へスムーズに繋がるんです。
当時の長距離の安い移動手段ではありましたが、あくまでも通常の列車が夜間に走っているだけですので、寝る為の設備などありません。
若かったから出来たんでしょうね(笑)
でもまあ、楽しい旅してる、っていう感覚というか充実感は凄くありましたね。
夜行列車は『ムーンライト九州』にも乗った事があるかな。あと、スキーシーズンの頃に運行する『シュプール』号、日本一周で『新宮夜行』とか。
あと1,2本、何か乗った事があるけど、ちゃんと覚えてないな。。。
寝台列車も、『日本海』、『あかつき』、『さくら』に乗った事があるかな。
いやぁ、時間なんて気にしない、そんな夜行列車の旅は、またしてみたいねえ。
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