京都アニメーション放火殺人事件の判決が出て、改めて思う事 (2024.1.25 記事修正)

Society

さて。。。
京アニの放火殺人事件の判決が出ましたね、、、これで判決が確定するかはわかりませんが。どうであれ、亡くなった方々が生き返るわけもありませんが。。。

1つだけ感じるのは、重体で瀕死の状態だった被告の命を繋ぎ止めた医師団には敬意を表したい。よほど思うところもあっただろうし、社会的な批判もある中で仕事を全うしたと思う。
あのまま死なせてしまえば、被告の思い込み正義のまま事件が終わってしまったかもしれない。
裁判で法廷の場で、断罪され、裁かれるべき事件のはずなので、この日に辿り着いた事は正しかったのではないかと思う次第。

そう考えた時、大阪の某心療内科で発生した、同様の思い込みや自暴自棄による放火殺人事件は、犯人とされる男も自身の放火により死亡してしまった。何一つ、裁かれる事なく死んで逃げてしまった。それを思うと、残された御遺族の気持ちのやり場の無さは、京アニ事件以上なのかもしれない。

京アニの事件が発生した時、個人的には漫画家・手塚治虫『ブラックジャック』の作品の中の一話〝二度死んだ少年〟を思い出していました。
死刑になるかもしれない被告が、自殺未遂で瀕死の状態の中、ブラックジャックが命を助けるのですが、その後の裁判で死刑判決、銃殺されるという内容。法廷の場でブラックジャックが叫ぶんです、「死刑にするため助けたんじゃない!! どうしてわざわざ二回も殺すんだっ なぜあのまま死なせてやれなかった!?」、1974年の作品ですよ。

死刑で死ぬ事がわかっている人間の命を助ける意味があるのか? なかなかハードなテーマだと思います。

それでも個人的には、命を取り留めてでも法廷で裁かれるべきだと思ってます。

P.S.
久しぶりに〝二度死んだ少年〟を読み返したら、最後は銃殺では無かったです。何か別の話と勘違いしていた模様。
別の話で、ブラックジャックが助けた青年(だったかな?)が、銃殺されてしまうような話、ありませんでしたっけ?

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