NHKで肺ガンで余命2年と宣告され、今年の4月17日に永眠された、作家・奥山貴宏氏についての番組が放送されていました。
奥山貴宏氏サイト(2004年から2005年2月までの日記があります)
「TEXNIX」
2004年2月以降から亡くなる前日までのブログ日記
奥山貴宏 「32歳ガン漂流 エヴォリューション」
私の母も同じくステージ3Bでの入院からスタートだった。
彼の病状と進行は、私と母の1年間の闘病生活を思い起こさせました。
癌の範囲が広く、放射線治療もままならない状況、大幅な体力をそぎ取られ何のための治療なのかと思う、抗がん剤による治療。
その後、積極的な治療を止めて、普通の生活が出来るまで極力、自宅で生活をする、等々。
彼の言葉の中で、一番心に残るのは、、、
「残された時間を大切に使えというのは、健常者の論理だ」という台詞。
これは、母の変貌を知っているだけに、心にグザッときた。
時間のある人は、じっくりと彼の日記を読んでみると良いと思います。
『DEATH STRANDING DIRECTOR’S CUT』を、初代M1 Mac miniで遊ぶ【その一】
コメント
奥山貴宏 TEKNIX
奥山貴宏と言う名前を聞いた事があるだろうか?いつかは取り上げたいと思っていた人だ。でも、今まで取り上げ方がわからなかった。でも、昨日、NHKのETV特集で彼が特集さ…
ほんとに身内を看取るのは悲しくつらく厳しい行為です。。。
私も亡くなった両親に何かもっとできることがあったんじゃないかという自責の念にかられる日々です・・・
奥山貴宏さんの日記、一度手にとってみたいと思います
ころちゃんさん、はじめまして。
私は、母が亡くなって3年が過ぎました。
今はまるで、1年間の闘病生活(、、、奥山さんと同じように、この期間を単に“闘病”という言葉で表現したくはないのですが)が夢のように感じています。
亡くなった当初は、1つの考え方というか凄く視野が狭かったと思うのですが、最後は私が「人工呼吸器をそのままにするか、外すか」という決断をする状況下だった事もあって、マイナス思考的な事しか頭に浮かびませんでした。
1年ぐらい経った頃から、色々な考え方が出来るようになってきた気がします。母の人生は母のものであって、血が繋がった息子であっても、こればかりは変えられないわけで、マイナスな考えは母の人生に対して失礼だな、と。
偶然か、私は母と母の兄が亡くなる時、生きをひきとる瞬間まで看取る事が出来ました。それは、今思えば不思議な体験でした。
また、親戚で自責事故による突然の死という“不条理”な死もありました。この時ばかりは、人が亡くなったというのに腹立たしい思いでいっぱいでした、「お前、どうして死んだんだよっ!」って。
答えは無いと思うんですよ。
出来る事は、時々でいいから、そういう人達がいた事を思い出してあげることだと思ってます。