クリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」に続いて、硫黄島2部作の後篇である、「硫黄島からの手紙」を観て来ました。
「父親たちの星条旗」が硫黄島を通じて戦後を見つめた“アメリカ側”の視点だったのに対して、この「硫黄島からの手紙」は全篇日本語による“日本側”からの視点で描かれているストーリー。
この2篇、もちろん硫黄島というキーワードで繋がりがあるのですが、それぞれの視点から描かれているので、「父親たちの星条旗」を観ていなくても、この「硫黄島からの手紙」を観て色々と感じる事が出来ると思います。
そして、感想なんですけども。。。
回想シーンと一部のシーン以外は、オール日本語。全体の9割は日本語なので、映画の最後に静かに“Clint Eastwood”の名前が出た時に、「あ、、、これ、日本映画じゃないんだ、アメリカの映画なんだ」と改めて知らされる。
「父親たちの星条旗」は硫黄島での戦闘そのものより、その後に重点を置いていましたが、「硫黄島からの手紙」は硫黄島での戦場そのものが舞台となっている。そういう意味では、「父親たちの星条旗」よりも凄惨なシーンが多い。特に自決するシーンは、観ていて言葉を失ってしまいます。自決を印象付けるために手榴弾1発で1人が自決していくシーンが描かれていますが、実際の硫黄島で起きた自決は、手榴弾の数も少なく勿体無いという事で、1発を3,4人で抱え込んで自決しているそうだ。
そのため、死ねる人は一瞬で楽になるが、内臓が飛び出し腕や足が吹っ飛んでも死ねない兵士も沢山いたと。
そんな自決のシーンは、この映画の中で最も凄惨なシーンとして描かれている。
分かっていたのに、戦っても勝ち目は無いのに、一度動き出した歯車を止める事が出来ない現実が、延々と描かれている。
この映画で重要な役として登場する、栗林忠道中将はもちろん実在の人物で、この人の采配が5日間程度で落ちるといわれた硫黄島を1ヶ月以上も守り抜いた名将として知られているそうだ。
アメリカ留学の経験がある彼は、初めから勝ち目など無い事は理解していたはずなんですよね。
映画中、栗林が手紙を書いたり読んだりするシーンが多数出てくるのですが、実際に40通ぐらいの手紙が残っているそうで、それをまとめた本も出ています。多くの兵士が家族からの手紙を肌身離さず持ち、その返事を書く事、書ける事を唯一の希望として毎日を生き抜いていたと、映画では描かれている。
凄惨なシーンがより多く描かれているけど、やはり、、、だから「戦争は駄目だ」とか、そういう事を描いているようには思えない。悲しいね辛いねって、そういう映画じゃない。
60年前に、こういう事実があって、今の人がそれを知ってみたらどうなんだ?、と問われているな気がします。
最後に、、、“非国民”や“玉砕”という言葉、アメリカで封切りした時はどういう訳にしているのかなと思いました。
これら、凄く精神的な、宗教的な思想的な意味が大きいでしょう。
当時のアメリカ兵でも、ろくな武器も持たずに特攻したり自決したりする日本人(兵)を、到底理解する事なんて出来なかったはずだろうし。。。
観終わって、そう、良い気分にはなりませんよ。それだけは言っておきます。
戦争、良い気分になるわけがない。
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