さて、日本一周一人旅アーカイブ前半戦の番外篇です。 28年前の話をアーカイブとして記事にしていますが、本篇では直接関係のない事や、その後の話等、ちょっと繋がりのある話や雑感を追記する形の記事となります。
宿と食事
この前半戦の日記やら、旅先から持ち帰ったパンフを引っ張り出して来ても、何処の宿に泊まったのか、旅先で何を食べていたのか、ほとんど書いてないというか、わからないんですよね。
食事に関しては、うどんとかカレーとかが多くて(笑)、たぶん移動中の駅のホームだったり、駅前の食堂だったりで済ませていた事が多かったのと、特に夜は駅弁を買ってから宿で食べていた事もあったので、ほぼ記録に残していなかった。
まあ、食べる事に興味が無かったのでしょうね。せっかくだから、ご当地グルメを堪能すりゃ良かったのに(笑)
貧乏旅行でしたし、お金もあまり掛けたく無かったのでしょう。
それでも、かにラーメンとか、数えるほどですがプチ贅沢な食事もあったと思います。
あと、民宿や旅館での宿泊時には食事があったと思うのですが、全く日記に書き残していない。。。
宿は、大半が駅近くのビジネスホテルでした。
優先順位として、まずはビジネスホテルを探して、見つからなかったら民宿から旅館、という感じだったと思います。これも、宿泊を安上がりにしたい、という思いからだったと思います。
今ならゲストハウスも沢山あって、そもそもネットで簡単に調べられますが、当時は手持ちの観光ガイドブックと現地で仕入れた観光パンフ、時刻表ぐらいのアナログな資料を片手に、電話ボックスに入って電話しまくる、という感じでしたからね。
駅や観光地に着くと、とりあえず観光案内所等で宿の紹介とかも利用しましたけど、一人旅では断られるケースも少なからずありましたし、あまり安い宿が無かったりもして。
そして、日記を読み返しても、宿泊した施設や宿の名前も、ほとんど記録して無いんですよ。。。今さらながら、「オマエ、それぐらい記録しとけよ、このタコ!!」って、29年前の自分に説教したいぐらいなのですが。
数少ない、名前が判ってる宿に関しては、本篇でも書いています。
あと、長野県の小諸で2日間の宿泊をしてて、1日目と2日目で違う宿に泊まっている模様なのですが、日記には一切、宿泊した宿の情報は書いてないものの、この小諸で泊まったであろうビジネスホテルのメモ用紙は持ち帰っていて(笑)、『小諸グランドキャッスルホテル』というビジネスホテルなのですが、1日目か2日目、どちらかで泊まっているはずです。どちらか判らないので、本篇では書いていませんでしたが。
にしても、こちらのホテルは健在のようですね。
まあ、29年も経つので、列車や鉄道の路線の廃止同様に、既に廃業されてしまった宿もありますね。今回、改めて調べていて寂しい感じにはなりました。
再び訪れる、その2
この前半戦のハイライト、というか最大の思い出となった、北海道は礼文島なのですが、実は再訪する事になります。
思えば、稚内で偶然が重なって宿泊した『旅館さいはて』からのご縁で、礼文島の『民宿 岬しれとこ』に泊まる事になったのが、全ての始まりだったわけです。
稚内の『旅館さいはて』に関しては、本篇でも書いているように、稚内駅前の再開発もあって、どうやら廃業されてしまったようで、色々と調べても情報は過去のものばかりです。
礼文島に再訪したのは1996年、日本一周で立ち寄ってから4年後になりますね。
この時は、大阪から稚内まで飛行機の直行便があって、いっきに北海道は稚内まで飛んで、そこからフェリーで礼文島へ渡りました。
うーん、この時に『旅館さいはて』ら立ち寄ったかどうか、記憶が無いのですが、、、たぶん立ち寄ってると思うんだけどなあ。
現在、大阪から稚内への直行便が無い為、東京経由か札幌経由の乗り継ぎが必要で、時間的に不便になってしまいました。
二度目の礼文島時は、写真は撮っているものの、旅日記は書き残してなかったので。
4年ぶりの礼文島、そして『民宿 岬しれとこ』です。
確かもう、ヘルパーとして働いていた堀さんはいなかったと思います。そのかわり、大将のお子さんが1人増えてて、更に賑やかな民宿になっていました。
大将も女将さんも元気で、2泊3日でしたけど、やはり楽しい時間でした。
また、沢山の旅人達と出会えてたりしてね。
あと、本篇では写真とかが無くて載せれなかったのですが、礼文島の8時間コースのゴールだった地蔵岩(現在はゴールが変更になっています)にある、色々とお世話になった民芸品の『リュウの店』の写真。この時は8時間コースを歩いた人達を出迎えに言った時の集合写真を、店の前で撮りました。
たぶん、手にしているビールとか、リュウのお店から貰ったものだと思います(笑)
あと、二度目の礼文という事で、自分は2時間コースを歩いたぐらいで、後はゆっくりした時間を過ごしていたのですけども、午前中から宿でボケ〜っとしている私を見て大将が、「暇なら、ちょっと手伝ってくれる?」って言われて、車に乗り込んで港とは反対の方向に走って、道が無くなる所から海岸線まで行かされてね。
そしたら、ちょうど利尻昆布の漁をやっていて、浜辺に次々と昆布が下されるんですよ。
で、「干すの手伝ってあげて」って(爆)
えっ?、ってなりましたよ(笑)
裏表あるからって漁師さんに教えてもらいながら、突然のお手伝い開始です。
帰りに昆布を貰ったな、そういえば(笑)
そんな思い出のある、再訪でしたね。
再会
まー、日本一周中も含めて、旅先でたまたま出会った人との再会なんて、ほぼありえないだろう、と思うわけです。
住所交換して、しばらく年賀状のやり取りぐらいをしていた人なら、何人かいましたが、それぐらいです。
今ならSNSがあるから、再会する事も珍しくはないのでしょうけどもね。
そんな、まさかの再会がありました。
ちょっと正確な年月は覚えていないのですが、たぶん1997年か1998年あたり(あれ、1996年より前かな、、、記憶が。。。)だと思うのですが、年賀状のやり取りはしていた『民宿 岬しれとこ』さんから連絡があったんですね。
秋から冬に掛けては雪で閉ざされてしまう礼文島ですから、大将が出稼ぎで関東方面に毎年と来ているようで、そのタイミングで山梨県の富士五湖近くのキャンプ上で集合しませんか、という内容でした。
これは行かねば、と道中の乗るバスを間違えたり四苦八苦して現地まで辿り着いた記憶があります。この時の写真も何枚か残っているのですが、この時に、日本一周中の『民宿 岬しれとこ』で出会った人達との再会があって、嬉しかったですねえ。
三度訪れたい、礼文
さて、その『民宿 岬しれとこ』、その後。
あえて、本篇では書き入れませんでしたが。
結論から言うと、たぶん既に廃業されていると思います。
色々と調べたのですが、2006年あたりまでなら、その当時に訪れた方と思われる記述をネットで探し当てたのですが、それ以上の情報が見つかりません。
と言うか、『民宿 岬しれとこ』の情報自体、数えるほどしか見当たらないんです。
『民宿 岬しれとこ』に限らずですが、90年代前半の話なので、インターネットも無い時代。
個人がせいぜいアナログな紙とペンで日記や、フィルムからの写真で記録を残していた時代です。
個人でインターネットを利用して情報発信するようになるのは2000年以降の話なので、今さら当時の日記等を再度、デジタル化してブログやSNSにアップする人も、ほとんどいないのでしょう。
そもそも、そんな何十年も前の記録自体、捨ててしまってる可能性の方が高いですよね。
礼文島の宿泊施設で検索しても、もちろん出てきません。
『民宿 岬しれとこ』のあった場所は、だいたい覚えているのでGoogle Mapのストリートビューで確認もしたのですが、記憶に残る建物は確かにあるのですが、宿の看板もありません。
もちろん、同じ住人なのかも、わかりません。
とてもとても残念です。
日本一周後半戦も含めて、一番の思い出となった宿でしたから。
『民宿 岬しれとこ』、その後、どうなったのか。
知りたい。
唯一、知る方法が一つあるかもしれない。
それは、『民宿 岬しれとこ』の御家族と親しくしていた、民芸品『リュウの店』です。
リュウの店は今も健在です。
もしかすると店主が変わっているかもしれませんが、リュウの店の店主なら、その後の事も、きっと知っているでしょう。
今から29年前とは、ずいぶん様変わりした部分もありますが、改めて現在の礼文島を調べても、本当に魅力溢れる最果ての孤島です。
自分が50歳代のうちには、必ず再び訪れたい場所です。
P.S.
京都に礼文島出身の方が経営されている『れぶんcafe』というお店があって、一度訪れた事があります。京都に来られた際には、ぜひ立ち寄ってみて下さい。
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